恋を本のかたちで刻む
江國香織と山本文緒と(まだ日の浅い)西加奈子が強烈な色を放つ25の私の本棚で、この2冊はやや異色だ。
誰かをいいなと思ったらーーとくに恋愛としていいなと思ったら、好きな作家を尋ねることにしている。
新しい本との出会いとして、これ以上よいタイミングはないからだ。
伊藤計劃はひと月だけいいかんじだった大学の先輩の趣味で、花村萬月は1日だけいいかんじだったバイト先の男の子の趣味だった。
相手と別れた足で、だいたいはその日中に、本屋に行って文庫本を買う。
いいなと強く思っているほどがんばって読むことができる。相手をもっと深く知られるしそれに、「そういえばあれ読んだよ」と次会った時に言うこともできる。
文体が合わなかったりストーリーが好きじゃなかったりすることはよくある。でもとりあえず一周は読む。
本の趣味があうから相手ともあうという訳では必ずしもないので、あわないことはさほど問題ではない。
むしろそんな、自分では選ばないような本に出会える方がちょうどいい。
結論から言うと、伊藤計劃も花村萬月も、今は本棚の隅で静かにしている。
それ以上でも以下でもない。
先輩も、仕事のできるバイトくんも連絡が絶えて久しい。
でも本は確実にそこにある。好きだった人が別に普通の人になっても、私と作家との出会いは一生消えることがない。
恋した瞬間、心の表面には無条件に傷がつく。出来立ての傷の上に、思想のインクを垂らす。
入れ墨みたいなものだ。
昔好きだった人に教えてもらった作家なの…とは勿論言わないままで、この本も興味深いよと本屋で知った顔をする。
へえ結構なんでも読むんだね。
そうでしょう、という顔だけ作って、ねえどんな本が好きなのか教えて。
そんな感じで、また新しい墨を体に刻んでいく。
イカスミパスタとラムチョップ
イカスミパスタとラムチョップをデートのディナーで頼みたい。ごく自然に。
私の幸福は、チキンの丸焼きを骨までしゃぶれることだ。
心斎橋に家族みんなで大好きだったイタリアンがあって、その店のチキンは絶品だった。
慣れた手つきでナイフをふるって切り分ける父、綺麗なルージュで軟骨部分をくわえ込む母、付け合せのポテトとチキンをただただ夢中で貪る弟とわたし、ひとり2枚で足りないおしぼり。
誰かと一緒に、手で肉を食べる。
これぞ食欲というはしたなさの一切を許されながら、貪ることに悦を感じる。
どうぶつなんだという実感が、脳みそにビシビシぶっ刺さって、本能が満たされる。
大好きなひとほど、
愛しているひとほど、
一緒に生きていきたいひとほど、
はしたなく食べるところを見られたい。
はしたなく食べているところを見せてほしい。
一緒になって、生きるために食べたい。
だから私はいつだって、
デートに連れて行ってもらえるのなら、
ニンニクたっぷりのイカスミパスタも
骨の際ほど美味しいラムチョップも
ドレスコードのある夜景の綺麗なレストランで、ぜひとも口元を汚して食べたい。