日々になる
東京が日々になりつつある。
結婚式が終わりこれから遊べると思った矢先にコロナがやってきてお金と時間の使い方を持て余し、4000円の砥石を買ってしまった。
夫は家でずっとゲームをしていて、私は外へ出て遊べないのにあきてしまった。
部屋に閉じこもってゲームをしている夫に、激しい寂しさはあるかというとそんなでもなくなってきた。
各々の時間の過ごし方をなんとなくわかってきて私はときおり構ってほしいのでゲームしている隣に座る。夫はなんとなくこちらをみたりなんとなく足の指をいじったりしてなんとなく私の機嫌をとる。
先日の話し合いが功を奏して家事はわりかしいい感じで回るようになりはじめた。
料理の手の抜き方などが多少掴めるようになってきた一方、夫は私が忙しいと、私のぶんまでコンビニのご飯を買って帰ってくる。連日にならない限りありがとうと言って食べる。私はこれを愛と呼ぶようになった。
最寄り駅から電車に乗る、各駅停車の座席に、大和路線を感じはじめて、私はもうすぐ教師をやめて、また新しい仕事をはじめて、それですこし元気がないことを夫は知っていて、気にしていて、それですこし私のほうをみる。
東京が日々になり、夫は夫になり、コロナはなんとなく大丈夫な空気になってきている。
週末、新しい机を買いに出かける約束をした。
生活する
生理が過ぎ去りホルモンバランスが安定しているということもあるのだろうが、夫との共同生活のリズムに少しづつのれてきた感がある。
単純にここ数日一緒に過ごす時間がたくさんとれたからだということも大きい。
好きなので一緒にいたいというのは生活が始まっても変化なく、だからときおり彼が自室にこもると寂しくなって覗きに行く。
料理のことでは今だにざわつくことがあり先日も例え話を用いて訴えた。
そういうことを積み重ねて(不用意に積み重ねることは控えながら)いくしかないと思う。
その積み重ねをあまり重大に受け止めすぎないようにできればいいなと思う。
夫とのと書いたが夫というのは恋人のことで、唐突に夫になったのは字面の上で、なにかすこし急な気がした。
一緒にいると心地の良い人でなにやら現実的すぎるところはあるがいいなと思えるところがたくさん見つかる。
今朝わたしが仕事に行きたくないなぁと言ってみると、そんなことない、行きたいでしょ と言う。そういえば彼が仕事に行きたがらなかったことはないなと思う。そしてわたしは本当に仕事に行かなくなったらきっと駄目になるだろうなと思う。
玄関先に見送りに出てきてくれた彼は11ぴきのねこ(へんなねこ)の手をバイバイと振って可愛かった。
おおきな台風が来たのでずっと家にいた。家にいて夜通し海外ドラマを観た。
私はときおりしゃべるが彼は黙ってみている。でも笑うところは同じように笑うので嬉しくなる。
生活における優しさのやりかたや、思考のすじみちに気がつけていると感じるので生きていくのがやりやすい。
彼は違う人間で、食べ物の好みも映画の好みも情熱のかけどころも少しづつ違うけど、わかるところも多くて、そのわかるところが、生活のなかに多い気がして、だから一緒にいると心地いいのだと思っている。
言葉にする
言葉にされないと不安だ。
言葉を信じるより行動を信じるほうが賢いことはわかっているのだけれど、私は例えば名前で呼ばれたいし好きだよと囁かれたいしかわいいと漏らされたい。
言葉は生き抜くための道具であり、しかしときに健康で動物的な生活を阻害する毒にもなる。
私は言葉で考えることが好きだ。
言葉にして、言葉で考えることのつよさを信じていたい。
言葉で理解し納得できればひどく安心する。職業病と言われたらそうかもしれないし、もともとそういう病気だったからこの仕事をしているのかもしれない。
だからあなたのことが好きな気持ちを、詳らかに言葉で表現できないのはもどかしい。
ときおり漏らす吐息の色や、笑顔を作るときのやわらかさや、繋いだ手をにぎるときの無意識とも意識的ともいえないリズムから、全部がわかってしまってくやしい。
私はいかほどを相手に伝えられ、いかほどを相手に理解してもらっているのか、それを考えると胸の中が焦げ付きそうになる。
あなたは短い言葉ですべてを伝えるのがとてもじょうずだ。
わたしもそのくらい賢くあればいいのにな。
秋だから
返事を待っているので情緒が不安定なのを、秋を味方にしたり、言い訳にしたりして乗り切っている。
近日中とはよい言葉でわたしも新卒研修で習った。だけどもうそろそろ近日中の辞書の意味を送りつけてやりたくなる。1日を24時間に分解して日を数えている。返事が来てる気がすると怖いし来てなかったらそれはそれで腹が立つしピープルインザボックスは凛として時雨になってしまい思い知らされる。
秋だから私はどこへでも行けて、私自身を豊かにしてあげられる方法をたくさん知っていて、実践もしている。
暖かいミルクも栗のたっぷり入ったパウンドケーキも高級なパンも肌がすべすべになる入浴剤もバーガンディのアイシャドウもアイラインも髪を巻くことも温泉に入る用意をして出社することもスマホの電源を切ることも全部そうだ。全部全部全部私をすこし安心させてすこし強くしてくれるけど結局わたしはあなたの言葉を待っている、必ずという言葉に心底安心したり信頼したりまるであてにできずに別れたときのことを別れなかったときのことまでセットで考えたりしてもう4日が経とうとしている。
いい加減にしてよ明日はどうするつもりなの会わないつもりなの連絡もしないつもりなの忘れているの悩んでいるのもう疲れた、疲れた疲れた疲れた疲れた、自分にもあなたにも疲れた。
強いふりをするのもひとりで立って歩かないといけないと鼓舞するのも考えないようにするのも全部だ。
どうしてこんなに引っ掻き回されないといけないの、どうしてこんなに引っ掻き回すの、全部に疲れる。心が疲れた。もうくたくただ。
くたくたなのに苦しむことを私はやめられない。
自傷と同じだ。私は自分の心を引っ掻くことであなたと繋がろうとしているのかもしれない。無かったことにされるのが怖い。捨てられることが怖い。やっぱりなしで。やっぱり無理だ。やっぱり重い。やっぱり。やっぱり。やっぱり。
私は私のどうしようもないところがわかった。
どうしようもないところをどうにもできないことがやっとわかった。
それを今必死で前向きに捉えようとしている。
言葉で噛み砕いて配慮で包んで感情を抑えてあなたに差し出してなんとか分かってもらおうとしている。受け取ってそのまま包んでほしいと願っている。
これが今の私の限界だよ。精一杯だ。もう無理だよ。これ以上はできない。つらいもん。
それを差し出すのは怖い。怖くてどうしようもなかった。あなたはその行動にくらい、応えてくれると信じていたい。
人間なので無駄なことをしたい
浴衣を着て花火大会に行き屋台で買ったりんご飴とか片手に人混みの中彼に手を引かれたい、ということをうまく伝えられなかった。
正しくは自分がそれをそんなにも強く望んでいると気がついていなかった、ので、伝えようとしなかった。
でもネタみたいにそのことをツイートしてみたりする。そしたらお前それ我慢してんじゃねえよと叱られた。ありがとう。
我慢していたらしい。
彼は暑いのも混雑しているのも待つのも嫌いで、花火大会にあまり積極的でないことがわかったので、私もそんなにだなと思うことにしていたらしい。
でもほんとは行きたかったんだよね。
前に着物を着ていったとき、似合うねと言ってくれたから、浴衣もきっと褒めてくれると思ったんだよね。
毎年この時期梅田に溢れてるカップルのひとつになってみたかったんだよね。
彼らがそうしているように、漫画の定石のように、ありきたりな感情や行動、やってみたかった。
コストパフォーマンスだけ考えればやる価値ほとんどないようなこと、一緒にして欲しかったんだよね。
私は人間なので無駄なことをしたい。
なにひとつ合理的でないこと、一緒に付き合ってほしい。
頻繁じゃないタイミングでチョコレートをもらいたい。
他の女の子がかわいいと私は口にするけど、あなたにはそのたびに君のがかわいいけどねと言ってほしい。
無駄だとわかっているから望みづらく、主張しづらく、だから言わなくってもわかってよと更に非合理と理不尽を上乗せしている。
わがままは叶えてくれるに飽き足らない。
そこに嫌悪感や面倒臭さなんて一切感じさせないでほしい。
こうしてみると高度なことをどれだけ求めているのかよくわかる。
そういうのにぴたりと、はまってくれるのがとてもとても嬉しかったので、私はモンベルへ行ってトレッキングウェアにお金を使うし、睡眠時間は全然ないけど凝ったお弁当を作って持っていきました。
気にしすぎる
自分にとったら大したことであって、それを気にして気にしすぎて全てを悪い方へ考えてしまう。
1週間前の私は仕事が順調ではないことから自己肯定感が薄れている上にぎりぎりいっぱいで、そこにタイミング悪く様々なことをからかわれたので落ち込んで、折角のデートの帰りの電車で泣いていた。
流石に帰りの電車で泣いたことをまるでなかったことにはできないだろう、とこの件について話すことに決めた。
どうやって話そう。
このタイミングで、この順番で、このテンションで、こんな雰囲気で、話そう。
いつもそうやってたくさん考えて決めるのに、実際にそうできたことなどほとんどない。
1週間後、会うことができなかったので電話で言った。
優しい相槌はいつも通りで、結局しどろもどろに口数が多くなってしまう私もいつも通りだった。
一週間気になっていて、謝りたかったから、と言うと
一週間。気にしすぎやろ
とひとこと。
気にしすぎか。気にしすぎやな。
と返事をした。
その後じゃあサッカーを観ようかな、と彼が言うのでじゃあ私は寝ようかな、と言って切電。
そうか気にしすぎだったのか。私にしたら適度に気にするべきことだったんだけど彼がそうじゃなかったのなら、もう気にしなくてもいいか。
帰りの電車で泣いてしまったんです、ほんとは嫌だったんだけどこらえ切れずに。あなたにだけは強くあれと言われたくないから、これからはできたら、なんでも褒めてほしいんです。言われなくてもがんばるから、強くあるから、そうできるから、あなたにだけはがんばってるよ弱くていいよと言われたい。
なんべんもしたシュミレーション通りなら言うつもりだったそれらは、以上です、に押し止められて出ていかなかった。
ほんとは言いたかった、とも思うし
多分伝わったから言わなくてよくなった、とも思うし
それだけ?これでこの話はおしまい?とも思うし
それだけでこの話を終わらせてくれるくらいでよかった、とも思う
全部ほんとで矛盾してるけど矛盾せずにここにあって、それでよかったのかなと思いながら、やっぱりよかったのかなと思いながら、次に会うときどんなふうかなって思ってる。
あなたに手放したくないと思われたくて鶏のむね肉と野菜ばかりを食べている。
手紙がめちゃくちゃ好きだからどうしてもほしいという話
恋は盲目なので好きな人の手書き文字なんかすーぐ好きになってしまう。
そりゃもう文字の形の好き嫌いなど最初からなかったみたいに100%好きになる。
手書き文字が好きだ。
ペンを使って肉体がおしゃべりしている。
感情を最も雄弁に語るのは、めちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ悔しいけど今のところ理性(例えば言葉)ではなく、肉体じゃないかと思う。
涙でひたひたの瞳も、優しさではちはちの声も、あまりにずるいじゃないですか。
好きな人にそんなことされたらもう、お手上げです。そりゃないよ!ハンズアップ!失禁も辞さない。失禁しないけど。
心のゆらめきを伝える震え、いま吐き出そうとしたため息、肉体の語りは一瞬で消えてしまってあまりに惜しい。
だから、ここにちょっと書き留めてほしい。
姿を記録するためにシャッターをおろすのとおんなじように、
心を記録するために書いてほしい。
それはなまなましい感情のアルバムだ。
理性で紡がれる内容としての言葉が、肉体によって可視化され、紙の上に残されて、10年、20年、30年。
好きな人の名前は、他の文字よりなんとなく可愛く書けるのは果たして気のせいなのか、そうでないのか。
授業中、手持ち無沙汰に、ノートの端に好きな人の名前を書いてきた女としては、気のせいじゃないと思っている。